「雑記」「思想」

とりあえず進んでなかった山之内靖「マックスヴェーバー入門」を読了。
あとはドラゴン怒りの鉄拳を見て、ダーティハリーを途中まで見てた。
もっと生産的に、規律した生活を送らねば。Kさんのブログを見て気を引き締める。

マックスヴェーバーは、歴史学的な側面の活動についてはよく分からんが、ヨーロッパの近代化に対し他の
地域にない特有の規範や倫理が機能し、今後もそれを逃れる術はないというペシミスティックな批評をしているという
ことはとりあえず分かった。決して合理化を賞賛していたんではなく、自身の神経症とも向き合いながらその
病的な精神を相対化する過程で仕事をしてきた人なんだと思う。
妻や親の思考にもある程度影響を受けているんだと初めて知る。
俺が今までに読んだことあるのは「職業としての政治」「職業としての学問」だったかな。
学問に価値を持ち込むべきでないという主張は「いや、無理だろ…」と思いつつどう乗り越えていったらいいんだろうという風に思った気がする。やはり普遍理論を志向するのは難しい。自分に感覚できない領域があるのはもちろんのこと、それを知る手段や可能性を論じることも出来ないような気がする。
パーソンズは比較的社会システムの構築に楽観的だったようだが、ルーマンに至ってとてもニヒルに「著述できなさ」を
知りつつ著述しているんではないかと思う。深く読んでないけど。

最近自分の悩みは、自分の言葉で語っている感覚が薄くなってることだ。
確かに自分の存在の根拠に対する漠然とした不安はあるし、これをどう抱えて生きていくかが人生なんだろうけど、
それに対する感覚をもっと高めたいという思いがある。
何に対しても本気になってないというか、言い訳ばっかだ。
思想関係の本を読むのに向いてないんじゃないかとも思い始めてきた。痛い位ひびく思考のブレイクスルーに出会えないからだ。要するに俺の周波数がそこまで合ってないんだろう。
かといってリア充的に価値と戯れることもうまく言っておらず、モヤモヤしてる。
迷いながらでも行動しながら考える癖を付けないと、どっちの線でもうまくいきそうにない。
あまり迷わず実践していこう。