エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫)

エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫)

ヴァレリー二冊目。ムッシュー・テストに引き続きなかなか面白い。
原文がどうなのか知らんがちょっと変な言い回しが多いというか読みにくい部分もあるし、みっつの作品全てよく分からない感覚もあるけども、読み進めていくうちに感覚が研ぎ澄まされていく文体でもあって、特に訳者の清水徹氏も指摘しているとおり、ソクラテスが海岸で「あるもの」を拾うときなんかすごく描写的に美しくて、読んでるだけで精神的に旅に出たような感覚になれる文章でもあった。
エウパリノスは特に話が割りとあちこちに飛びながら進んでいくので一気に読んだほうがわかり易かったかなと思ったけど、安藤忠雄の流れにもつながる建築のあり方に対して理解が深まって(こーいう風に読書だけで「理解した」気になってるのはただの言葉遊びにすぎないんじゃないかとも思ったけども)、改めて面白い芸術だなーと感じた。音楽と建築を比べたりする感覚は俺の認識にも近くて、西洋クラシックの歴史なんか特に厳密な理論と実践に基づいた「音の建築物」の作品史になってるような気もしてたのでいろいろとリンクした。

そして何より三島由紀夫の「金閣寺」を思い出した。エウパリノスが「人に歌いかける建築」というのは「金閣寺」の主人公が持ってる対象への感覚にとても近いんじゃないかと思う。現実に構築された完璧な美の象徴としてのそれは、その内部にいる人間に働きかける圧倒的な効果があるんじゃないかという。

それぞれ異なった原理を持つ「素材」を組み合わせ、無秩序から新たな秩序を生み出していく仕事…。安藤忠雄も自分の作品を「自分の空間」という言い方してたし、この世にそういう空間を創出できたら人間としていい仕事できたと思えるだろうなー。ソクラテスが終盤自分の人生はクソだった、俺には建築家になる道もあったのに!とわめいて終わるが、思索を深めるだけで仕事ができないと晩年になってそーいう悔恨の思いに囚われてしまいそうだなーと思った。
もちろんソクラテスの思想は死後何千年て息づいてるし、たいていの人間の生きた爪あとなんてわずかなもんだから常人にはできないすさまじい仕事はしてるわけだけど、望みはしないけどもいつのまにかこの社会に生まれて、限られた時間で去らなきゃいけないというこの人生の理不尽さをどう慰められるかと言ったら、いかに自分が満足できる仕事をこの社会に残せるかという部分も大きいだろうな。俺は果たしてどうなるか。人生を建築できるか。

「樹についての対話」というのはあまり印象的な作品ではなかったけども、「魂と舞踏」はどーー読んでも曽田正人「昴」を思い出してしまう対話だった。
三人の口の達者なおっさんたちがアティクテという踊り子についてうんたらかんたら感想を述べていくんだが、このときの踊りについての考察が昴の踊り表現に俺の中でがっちり結びついてしまって、読んでて映像的に浮かび上がってくるくらいだった。
ただ「生きる」ための手段ではない身体の無駄で美しい使い方。周りの空気を巻き込む表現力。指先が舞うたびに新しい次元を切り開いていくような感覚と思考の母体としての身体の制御の仕方。アスリートに対する俺の強烈な憧れに似た感想を話し合ってるんだな。アティクテは文中でアフロディテと言われてるけど、ほとんどシャーマンだと思った。