スノボに行ってきた。体が痛い。
何か、もうスノボは諦めてもいいかも、と思わせる内容だった。
前回行ったときは初めてだったから滑ることが楽しくて、わくわく感が転んだときの痛みを忘れさせてくれてたけど、今回はこの「痛み」がリアルだった。
初日は雪が固かったこともあるが、尻持ちついたり手をついたりする度に顔がゆがむ痛さで、自然と「転ばないように、無理しない」滑り方を志向するようになってしまった。
友人が言ってたけど、スノボのようなスポーツは「出来ないことに無理して挑戦すること」がとても重要だと思われる。ボードの上でどう重心を変えていくか、スピードを調整するかなんて無理していく中でしか体感できないものだろう。でも、体が痛すぎて(風呂入ってみたら内出血だらけだった)、とても出来ない。
結局、前回は初級コースがなんとか滑れるようになったくらいだったが、今回も中級コースには全く歯が立たなかった。要するに、成長した実感がほとんどない。
思えば俺の努力は大体この「成長する実感」のなさのせいで勢いをなくしてしまう。ジョギングにせよ、筋トレにせよ、もっと言えばこれまでやってきた部活全般について、ある程度持続してトレーニングして、さらに負荷も増やしていってるのにぜんぜん体に変化がないので、虚しくなりいつの間にかやめてしまっていたりする。成長してるという実感はものを続ける上でとても重要なインセンティブになるはずだ。昨日できなかったことが今日は出来る、明日は何が出来るだろうと考えることはとても建設的な思考だが、たいてい俺の場合挫折してしまう。
なぜ俺の体は俺の意思に答えてくれないんだろうか?
今回のスノボにしても、行ける機会なんて滅多に無いんだから、この限られた時間のうちに最大限滑り方を試行錯誤して中級者になりたいという思いがあったが、まったく適わず終わってしまった。相変わらずちょっとでも角度のある面をすべる時はただボードを面に対して垂直に立ててブレーキしたまま滑るくらいのものである。ちょっとでもターンを織り交ぜようものならめちゃくちゃ加速してしまい怖くなって自ら痛くない転びにもっていくか、もしくはバランス崩して派手に転ぶかだけである。初級コースならある程度左右にターンしつつ滑れるので滑ってて楽しめるが、中級コースは滑ってて苦行のようだ。
球技のようなスポーツと「自分の動きを制御する」難しさが根本的に違うというのもよく分かった。なぜクソ寒い雪山で高い金払ってわざわざ痛い思いしに行かなきゃならんのか、とか段々イライラしてくる自分がいる。サッカーだってバスケだってやろうと思えば身近な空間で出来るし、ボールを扱う技術は痛みを伴わない。そういう意味で、スノボは既に俺の中で武道に分類されていいスポーツだ。自然を相手にたった一人で、いかにその力を制御できるかを痛みや苦しさを経験しながらストイックに求め続けるという。
今後またスノボに行く機会があるか分からんが、今の時点ではあまり気乗りがしないスポーツになってしまった。スキーのほうがまだ楽しいかもしれない。

てか、今回の旅で謎だったのは、周りの宿泊者がほとんど関西圏の学生だったことだ。斑尾って関西からアクセスいいのか?大阪弁が回りにあふれていて、何か変な空間だった。