「ユートロニカのこちら側」を読む。

「こちら側」という表記がいいね。近未来のサンフランシスコ辺りを舞台に、高度に発達した管理社会「アガスティア・リゾート」に生きる人間たちの「こちら側」の日常を、全部で5章のオムニバス形式で描いた作品。評者の東裕紀は「ディストピアを描くのに、それを脅かす存在(犯罪者)が弱いのは頂けない」と書いていたけど、逆に終わらない閉塞的な世界観が、安全と便利さを求めてamazonfacebookを初めとする大企業に情報を売り渡しながら生活をする現在と地続きな感じがしてリアリティを感じた。作者もそれを意識しているらしく、今後もこの傾向は止むことはないような気がする。それこそ大学時代に学んだフーコーの「生権力」というキーワードを思い出した位、心地よさを求める余り型にはめられているような嫌な感触を思い出したというか。著者は同い年で、少し前に読んだ柴田勝家「ニルヤの島」と同じくハヤカワSFコンテストを受賞している。いや、実に面白かった。
特に面白かったのは、管理社会での警察の描き方。本書では犯罪は常に生活者のあらゆる行動や感覚器官から収集された豊富なデータを基に「予防」するシステムが確立し、政治犯も突発的な犯罪も原則的に発生前に社会から隔離され、未然に終わるものとされる。それでも例外的に起きてしまった事件がテーマになる章になるのだが、犯罪予防システムを確立した第一人者である科学者が語る「いくら予防するといっても、犯罪を起そうと「考える」ことまでを防ぐことは出来ない。考えることを防ぐというのは、人間が持つ想像力を変質させることであり、変質された人間は、現在の人間とは同じ人間ではなくなっている。」という言葉が印象に残った。確かに道具や科学の発展によって人間の生活や行動様式とともに意識も変質してきたかもしれないが、その想像力すらメスを入れることができるようになれば、「カッコウの巣の上で」よろしくロボトミーと変わらないのではないかとうすら寒くなる思いがした。