スーツの神話 (文春新書)

スーツの神話 (文春新書)

中野香織氏の「スーツの神話」を読む。
何となく服好きとして掘り下げておきたい分野ではあったんだけども、本書の内容は俺の関心より少し的が外れてることが分かった。
確かにスーツが地球規模で男の正装になっていく政治的な背景や、そのつど現れたブランメルやチャールズ4世といった着こなしに変化を与える人物やダンディズムやジェントルマン思想が交差して現在のスーツの形が出来ていく、というのは大枠で理解できたけど俺が知りたいのは「その先」なんだよな。
要するにプレタポルテが全盛期になっていく20世紀のスーツの変遷を追ってみたかったんだけど、著者が言うところによるとそれは服飾史の第三章になるということらしいんだな。本書は第二章でスーツの形が大まかに決まっていく歴史の話だ。人間が大量生産された既製服を着るようになったことの身体的な意味とかを解釈してくれてるような本が読みたかったんだがなー。仕立て屋や裁縫を家事としてやっていた人間の手によるオーダーメイドの服を個々人のカラダに合わせるんじゃなく、カラダの方を大量生産された服に合わせることから生まれるニンゲンソガイとか、吉本隆明がコムデギャルソンを着たっていうのはどういう意図だったのかとかさ。
まあ確認できたこととしては、時代が下ると共に人の服装は簡素になっていくんだね。これも合理主義的な精神が社会の中で浸透していく契機なのかね。
社会的な階層が高いほど華美な服を着ることは時代や場所を問わず見られる現象だろうけど、プロ倫的な、プラグマティックな精神がそれらの文化を駆逐していったと言えるだろうか。モードの世界でもミニマル的なパターンやカッティングは一定の周期で繰り返されてんじゃないかと思うけど、俺も正直いってこういう服が好きなんだよなー。着易いし、こだわってんだけどあまり自己主張しないという面もしっくりくる。今の俺の格好はそーでもないけど、黒を基調にコーディネイトを考えることは多いし、カジュアルでも綺麗にまとまるんだよね。だからすぐユニクロ大好きユニクリストになっちゃうんだけど。
これが誇れることなのか分からんけどな。
とりあえず、俺がファッションに関してムカつくのは権威づけられた服を着ていい気になってる着方なのだ。勿論その服がどのように着られてたかの背景を知ってそれをなぞったり着崩したりするような遊び方はあるけども、権威だからオシャレと思って着てる連中は何か腹が立つ。
所ジョージはなぜアメカジに拘るのか?あれをマネして着てるfree&easyとかbiginとか読んでるコヤジどもの思考停止した感じよりは潔くユニクロを取り入れる俺の方が服を楽しんでるんじゃないかと思う。リーヴァイスの大戦モデルだか何だか知らんけどン十万の小汚いデニム着てユニクロのデニムをバカにするおっさんは俺の中では敵だ!
今回の読書で学んだけど、あんたが寄りかかってるその権威も実は歴史的にはそれほど強く権威付けられてるわけじゃないのだ。ワークスタイルとか言って当時の農夫のカッコするバカ(金使ってボロ着てご苦労なことで)や今クソ流行らせられてる(トム・フォードの仕業だろ)ラギッドなアウトドア系の服で実際にはアウトドアしないバカや膝の破れた服として最低のジーンズをいい気になって履いてる君たち、ユニクロ着る俺をバカにするかもしれんが俺は俺で君たちがバカに見えてしょうがないよ。
そういうムダこそファッションの本質というかもしれんが、ムダじゃなくマネなのだ。ムダに凝るなら誰も真似できない無駄をしなさい、と。