こうの史代「平凡倶楽部」を読む。

平凡倶楽部

平凡倶楽部

「夕凪の街、桜の国」を読んで以来この人の温かみのある作風が好きなのだが、本書も作者自身の身の回りに起きた本当に些細なことを丁寧に綴った日記のような体裁で読ませる。マンガを書くときの机の風景だったり、体調崩して寝転んでいるときの窓から見える風景だったり、いつも通る道の風景の変化を描いてみたり、そのすべてが優しく慈愛に満ちた描き方で、読んでいてすごく安らぐ。
途中に挟み込まれた、萌え絵の四コマ漫画(画風やキャラの造形とか「けいおん」辺りの特徴捉えていてうまい)が結構面白い。やっぱりテクニカルな人なんだろうなぁ。

業田良家「ロボット小雪」を読む。

新・自虐の詩 ロボット小雪

新・自虐の詩 ロボット小雪

こんなシンプルな絵の四コマで凄まじく深いテーマをさらっと書けるのだからすごい。
古典的なロボットと人間の問題に始まり、富の格差に関する問題を専門的な用語や過剰な演出なしにうまくに盛り込み、物語としてのカタルシスもあるというケチのつけようのない名作。普通の家庭の人間がそれぞれ個人の(主に性的欲求を満たすための)ロボットを所有する近未来を描いた物語。
小雪の作ろうとした「所得の平等な社会」がもたらしてきた弊害については、20世紀を通じて散々議論されてきたことだとは思うけど、富める者がより富み、貧しいものがより貧しくなる傾向の歯止めの利かなさも近年肌で感じることではある。
主人公の友人が富を失って追いやられた「向こう岸の世界」(持たざる者の世界)で危険な肉体労働に従事するおっさんの一言が非常に刺さる。これを説教がましく言わないのがいい。

「富を作り出すには三種類の方法があるべや」
「一つは地球から絞り出す方法」(エネルギーや作物)
「後は人間、俺たち下っ端の人間から時間と労力を搾り取るべさ」
「最後に未来の子供たちから搾り取る」(国債など)

なんでそんなに詳しいの?と聞く主人公の友人に横の労働者が哀しい笑顔で答える、「そんなん誰でも知ってるがな。知ってるけどどうにもならんわ。」の一言がまた痛い。選択肢が少ないから弱者になる。
そんな環境でも、「また資産家に返り咲いてやるっぺさ」とあくまで資本主義の立場で語るおっさん。このルールの外で生きることはなかなか難しい。


野田努「ブラック・マシン・ミュージック」を読む。

デトロイトのテクノやハウスに惹かれて10年近く経っているのに実は読んでいなかった一冊。
500ページ近い大著だが、割とあっという間に読んでしまった。70年代のNYのディスコからゼロ年代に至るまでのデトロイトで生み出されてきたテクノやハウスなどのマシンミュージックをロマンティックな文体で語り通した名著。
章ごとに序文としてディレイニージャン・ジュネと言った文学作品の一文や、シーンに関わりのあった人物の印象的なフレーズが挟み込まれていたり、章の終りと始まりが同じ人物に関する記述でミックスするように繋がっていたりと、構成全体がDJのような体裁をとっていて面白い。内容的にも、これまで点と点でしかなかった知識が線として繋がるような瞬間が多くあり、とても充実した読書が出来た。
気軽に行ける雰囲気ではなかったと思うけど、ラリーレヴァンのいたパラダイスガラージやミュージックボックスのロンハーディーのDJを見てみたかったなあと思わせる。ゲイディスコであり、ドラッグの巣窟でもあり、世界でも最も危険で狂気に満ちたハイセンスな空間だったのだろうなぁ。
30年たった今でも彼らのプレイリストを追ってレコードを買い続ける人間がいくらでもいるのだ。

ただ、後半のマッドマイクの語りをはじめとするURの主張にどうにも首をかしげてしまったの。もちろん俺も彼らのレコードを何枚も持っているが、改めてその主張に触れてみて、その世界認識とその危機の持ち方や変革するための方法論など、全てが甘いなと感じてしまった。
彼らが語る、世界を牛耳る「プログラマー」という観念的な敵は実際にどこにいるのだろうか。すべての人間にとってそれぞれの正義があり、考えが合わないものがいるにせよ、相手を排除すべきと考えるのではオウム真理教始めとした様々な宗教の陥った思考回路とまったく変わらないのではないか。「悪の枢軸国」とレッテルを張って攻撃を仕掛けたどこかの国のリーダーとも重なる。「プログラマー」は誰しも持つ性質であって特定の個人を指す単語ではない。やはり、フーコー的な生権力の見方で権力のあり様を捉えるほうが正当性が高いように思われる。