乙嫁語り」を読む。

乙嫁語り 1巻 (BEAM COMIX)

乙嫁語り 1巻 (BEAM COMIX)

いやー最高に面白い。森薫先生は「エマ」も大好きだったけど、本作も最高。しかも、2014年のマンガ大賞にて対象を受賞したとのこと。めでたいめでたい。
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20140327/E1395910926307.html
強引に紹介してしまうとすれば、エマが19世紀のイギリスを舞台とした恋物語だとしたら、本作はその中央アジア版(現代のウズベキスタンカザフスタンとかその辺り)。時期的にも、ロシアが不凍港を求めて南下政策を勧めていた時期で、エマと本作の主人公アミルは同年代ではないだろうけど同時代を生きてるはず。アミルの方が30歳位年上になるのかな。カルルクという12歳の少年(当時は結婚適齢期らしい)に嫁いだ20歳のしっかりもののアミルの二人を中心に、何組かの夫婦のお嫁さんについての物語。

エマの時もそうだったけど、本作でも当時の文化風俗に関する調べ込みが半端じゃない。もともと著者が当時の文化にフェティッシュな興味を抱いていたとのことだが、それにしてもあまり現代の日本において馴染みの薄い地域の物語ではある。それを、いかにも「現代人が失った美しい文化の紹介」みたいに収まるのではなく、あくまでも脇役として描写できているのが素晴らしい。あくまでも、本作はお嫁さん周辺のの人間ドラマなのだ。あまり作中では触れられないが、恐らく彼らはムスリムだろうし、日本人全体からしたら同じアジア人とは言え心理的な距離はアメリカ他の西洋諸国より遠いんじゃないかとは思うが、そこをきちんと日本の読者が読んでもきちんと感情移入できるように描いているのはすごい(日本だけでなく、本作の翻訳版を読んだ欧米諸国の読者も同じようだ)。勿論、現代の日本で12歳の「少年」を愛する20歳の女性がいたら奇異の目で見られることは必須だし、「結婚は当人同士じゃなく双方の父親が決めることだよ」と語るカルルクに対して違和感を持つ者もいるかもしれない。でも、自分はこれをとても自然なものとして読めてしまった。自分と違う環境で育ち、違う能力を身につけてきた者たちの「知恵」として読めたからである。要は、当時の当地ではそれが一番自然で合理的だったのだろうと思えるような自然な描き方だったからだ。
本作では、スミスというイギリス人の文化人類学者と思われる学者がアミルたちの周辺で研究活動をしており、彼の視点が現代の読者の視点をうまく媒介している(とはいえ彼は「観察者」でいることがかなわず、否応なしに研究対象との人間関係を深くし、ついには現地で出会った女性に求婚されるまでになるのだが)。上記のようなカルルクの発言にも自分の価値観から疑問を投げかける彼だが、彼自身のいる環境に「適合」し、少しずつ研究対象から影響を受けている様を描いているのも面白い。今後も彼自身のサイドストーリーは続くようだし、スミスとタラスの二人の恋が成就すればいいなぁと一ファンとして願うばかりだ。
そして、ヤギをさばいたことのないスミスに対する「男ならそのくらいできるだろ」と言われてしまう場面も印象深かった。自分が現在27歳の男子で、彼らの文化における「男としての一人前」と自分が身につけてきたスキルとの違いと言ったら。別にそれはどちらが優れているというものでもにだろうし、単純な比較として面白い。少なくとも現代の日本では、ヤギをキレイに捌く技術や上手に馬に乗る技術より、エクセルの関数を使う技術や車を運転する技術の方が需要が高いのだ。

本編のカルルク・アミル編にしたって、まだ子供のいない「夫婦未満」と捉えられてしまう関係。ここで期待するのは、ぜひ森薫先生に二人の性をきちんと描いてもらえたら、ということだ。あらゆる物語でありがちだが、直接的な性の描写は「スキップ」されてしまう傾向がある。下世話かもしれないし掲載雑誌で許されるのかは不明だが、二人の愛の営みを描いてくれたらなぁ、と思う。

あと、一点残念な点を挙げれば、人物の顔の描写。海外の批評にもあったが、キャラクターの顔の造形はわりかし日本のアニメ的な部分があるので、若干「見分けがつきにくい」のだ。本作の特筆のとして、登場人物たちの非常に複雑な模様で描かれた美しい服装があるのだが、あれだけ忠実に再現できるのなら、顔をアニメ的ではなくもう少し写実的に描いてもいいんじゃないかとは思う。そうなると日本の読者からは親しみがなくなってしまうかもしれないが、「顔」の造形だけでは現地の人と分からないのはちょっとマイナスなんじゃないだろうかとは思う。とはいえ、そのアニメ顔できちんとキャラの心境は伝わるくらい描き方はうまいのだけれど。