フジモトマサルの「終電車ならとっくに行ってしまった」を読む。

終電車ならとっくに行ってしまった

終電車ならとっくに行ってしまった

秋の静かな夜に読むとより入りこめる傑作。著者の本は2冊目だけど、本書の方が惹きつけられた。一つの話を文章とマンガが2、3ページずつ交互に配置される作りで、内容はとりとめのないエッセイで毒にも薬にもならない。でも、全体に流れる寂寞としたムードが胸を締め付けるように切なく、愛おしい。きっと著者は幼い頃から他社とのコミュニケーションが下手で(本書内でも、「本気で笑ったことある?」と他人に聞かれてしまうエピソードが出てきたり)、家族もおらず飼ってる猫にしか心を開かず、繊細な感性を持って日常の小さな変化や思考を丹念に表現して生きてきた人なんだろうな、というのがすごく伝わってくるのだ。一つ一つのエピソードを面白可笑しくすれば、伊集院光の「のはなし」に通じるような感性なのだが、なぜか著者の分とマンガには「生きづらさ」のようなものを感じてしまう。例えば、人と話していると、急に自分が巨大ロボットで目の位置から自分を操縦しているような感覚になることがあって困ってしまう、なんてエピソードが出てくるのだが、これなんて離人症とかの症状じゃないか?なんて思ってしまう。字面だけだと面白いのに、この不思議な感覚がちょっと怖い。
そして、ちらっとwikiを観てみたら著者が昨年夭折してしまったというのも知った。より一層、梶井基次郎中原中也のようなイメージがついてしまった。