障がい者・児共生とは何か―「自立と共生」の福祉、教育・保育

障がい者・児共生とは何か―「自立と共生」の福祉、教育・保育

びっくりするくらい詰まんなかった。もっと理論的で卒論書くときの役に立つかなと思って借りたけど全部読む気がしない。何か、やっぱズレてるように感じる。自分が弱者ってことは十分分かってるつもりだけど、弱者の理屈って好きになれないみたいだ。何で優生学がこの社会からなくならないかって、どう考えても強いものが理屈抜きに生き残ってるからだろ。摂理といっていいよね。弱者は社会に遠慮して生きるか、バカにしながら生きるしかない。なぜなら俺がそうしてるからね。バリアフリーなんか根本的に無理だろう。そんな金使ってたら行政破綻するわ。どうしたって福祉は後手に回る。集団で生きる中で発達したシステムだけど、東京で大地震があったら身体に障害のある人はどうなるか。秩序が乱れたり、社会化されてない子供たちの社会では、弱者は容赦なく搾取される。だから、俺もそうだし人間は強くなろうという努力を絶やすことは出来ない。先天的でも後天的な理由でも弱いことが悪いんじゃない、生きていけないだけだ。
め組の大吾 (10) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)

め組の大吾 (10) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)

岳 (1) (ビッグコミックス)

岳 (1) (ビッグコミックス)

め組の大吾読み始める。これもあんま面白くない。曽田正人という人はとにかく熱い主人公しか描けないしそんな作者の癖はどうでもいいんだけど、理由もなく勘が働いて要救助者を常に助けれるって設定はさすがに無理がある。登山マンガの岳では、同じ救助する側でも、死をきちんと描いてる。友達が崖の上から落ちてくるシーンで主人公がそれを知りながら手を差し伸べなかったシーンがある。自分も巻き添えで死ぬからね。でも後悔はしてない
って感じだった。こっちのほうがよっぽど説得力があると思う。リアリティのない物語はつまらない。あんま道徳的名批評はしたくないけどrookies読んでても思ったけど、こういう熱血で周りを見れない人間は結果的にチームを巻き込んでダメにしてしまう。精神的にチームの支えであっても、こういう人物には空恐ろしさを感じる。小林よしのりの言う純粋困ったちゃんという人たちだ。