トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)

トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)

「トニオ・クレエゲル」を読む。面白かった。リアルに吹いた箇所もあった。
「若きウェルテルの悩み」のマン版と言われてるみたいだけど、ウェルテルより面白いと思うな。結構明解で平易な文章だし、話の運びもすっきりしてると思う。ウェルテルは抑揚のない文章がダラダラ続いてる印象があって途中で読むのやめた経験あるし。

一本線の単調なお話だ。トニオは潔癖で厳しい芸術の世界を志向しながら、俗な人間(深い認識や想像苦を知らず、またそれらを努力して獲得しようとしないでなあなあで生きている人間)を軽蔑しながら彼らを愛して止まない。少年期から青年期まで一貫してそれを描写するためだけに短めに構成された綺麗な散文だと思う。
あと、情景描写がすごく綺麗なのも印象的だった。冒頭の散歩のシーンから自分の家の老木の描写もなんか俺のイメージする「ドイツ」って感じが出てていいし(萩尾望都っぽい感じ?)、旅先での海や空といった自然からレストランの侘しい描写まで気だるさと朧な感じがしてうっとりする。色の使い方や人物の喋る音の一音一音を丁寧に現していて、読んでて気持ちのいい文章だ。訳者の実吉捷郎さんって人の訳がいいんだろうな。

まぁ、誰でもトニオ的な悩みを通過してオトナになるとは思えないが(宮台さんが以前言ってた「意味を経ず強度に至る」みたいな人もいるとは思う。ムズカシク考えることが苦手、みたいな)、俺は少なくとも似た感情を通過してるのかもなぁ、今現在も。ただ、トニオよりは遥かにその芸術や人生に対する態度や手段がぬるいとは思うけど。結局俺もトニオから見たらハンスやインゲ側の人間に映ると思う。彼らだってそれなりに苦悩はあるんだろうけど、やっぱり「まともな人間」の側っていうかね。
ていうか彼らは何の仕事してるんだろう?何で北欧まで来て舞踏会で踊ってたんだろう?ハンスは変わらず水兵の格好してたって描写があったけど軍人なのか?そして二人ともトニオに気づいても何もアクションをとらなかったってのはちょっとリアルで痛い。トニオ(マン自身もそうだろうけど)はこの時点で既にある程度名士として名を馳せていて(巷の一般人は知らなくても詩が好きな人なら知ってるくらいの知名度?)、彼らよりも格上みたいだけどやっぱりそんなことに彼らは何の興味もないのね。常に自分の人生からしたら背景にすぎないというか。
ハンスはともかくインゲは自分に注がれていた視線にも生涯気づかないんだろうな。なんと言うか喪男の典型的な恋だよな…。

まあ悲劇的に終わらずに、彼は「俗人らしく」それを認めたうえで芸術の道を進むことを友達の芸術家に宣言してる部分は健康的なラストだと思った。彼自身も言ってるとおり(文章が一人称に変わる部位)、もう一度人生をやり直してもこうなるだろうし、この懊悩を抱えることが自分の創作上の重要な要素だと思って取り組まないとやってけないだろうしね。
とりあえずマンがこんな文を書く人って知らなかったので折を見て他の作品も読んで見たいね。何かトニオ読んでドストエフスキーみたいな印象が出来た。

定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)

定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)

広井良典さん2作目。前読んだ時はかなり刺激を受けたけど今回は層でもなかった。何か、大した裏づけもなく自身の世界観を語りすぎてる印象が強かったかなぁ。
彼の枠組みがかなり前時代的な、ゲマインシャフトな共同体を志向してるところがあったりしてあまり賛同できなかった。古典派の経済学からケインズに至るまでの大まかな経済学のおさらいとか今後の社会保障を構築していく際の理論的なモデルとかはある程度勉強にはなったけど。
確かに新しい豊かさの基準を築けたらGDPとかの指標に拘泥することはないかもしれないけど、心の豊かさみたいなのって政府にしろ共同体のリーダーにせよ誰かが呼びかけて豊かになるもんでもないと思うし…。最大多数の最大幸福を今後の社会の目指す指標だとするとどんな枠組みだと達成の度合いが上がるんだろうか。
本当に経済の定常点ってあるのか?っていう問いは変化のない社会ってあるのか?っていうのに近い気がするんだけどな、実質的に。そして勿論人間が作るシステムに変化のないことなんてありえないと思うし…。