前に「金融立国論」が面白くて、かつこんなご時世なので金融関係の知識に興味が出てきた。次に読んだのがこれ。

金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス (岩波新書)

金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス (岩波新書)

前回よりも読んでて「分かる」部分が少なかったのが少し残念なのだが、そこそこ楽しめた。まず基本的なデリバティブとかの金融商品に対する知識がないからそれを理論的に構築したシカゴ学派やらフリードマンやらの説明も上滑りしちゃった感じがあるんだけど、この辺は将来に備えて最低限しっとかないとな…。
とりあえず初めて目にする単語が多くて四苦八苦。CDBやらCPやら…。

でも、よく分かってないけど朧げに感じてた金融システムへの不安ってのは割りとこの著者とも共有できてるんじゃないかと思った。経済の中で膨れ続ける投機的なマネーは果たして経世財民っていう点からどれだけ有効だろうかっていうと、やっぱりほとんど金やリスクを右から左に移したりするだけで「公共の福祉」には繋がっていかないと思うし(まあ投資家やファンドは自由主義に則ってハナからそんなの考えちゃいねーよというかも知れないが)、現実に今世界の金融は未曾有の危機を迎えてるといっていいと思う。
今後もシステムの再建に世界各国が痛みを伴うだろう。今の世論は「少し新自由主義行き過ぎてないか?」っていうのをマスメディアでも割とガンガン報道してるので財界の人間も雇用創出を重く見ないとイメージダウンを招きかねない。
そうはいっても切るとこ切らないと全員沈んでいくかも知れんが。

あんま本書と直接関係ない話にはなったが、分かってるよーで微妙なサブプライムとは結局何ぞや?というレベルの知識の俺が読んでも分かるよう易しく書いてると思う。知識がそのまま武器になるとは限らんが、現状を把握しようと努めなくては心許ないしな。


んで、今日はクリスマスイヴだが東京駅ブリヂストン美術館の「都市の表象と心象」を見てきた。タダ券があったからだが、結構楽しめた。

まずは常設展にあったデ・キリコを拝めたことはでかい。ネットで「ブラウズする」のと「鑑賞する」という行為の違いをよくよく感じた。素朴に景色やら静物やらを丹念にキャンバスや版画に書き込んでいく製作とは全然違う製作なんだろうな。心象風景といってしまえばそれまでだけど、あの「不穏な感じ」はすごい。画面にすごい緊張感が走ってる。色とか形の視覚的イメージを外界のスケッチにあまり拠らず創作世界を構築できてるんだろうな。あまりにもミニマルな抽象絵画になると見るものに想起させるイメージがかなり拡散しちゃうから表現技法としては微妙なところもあるだろうけど、デ・キリコ位の解体具合だと伝わりやすい。
色々なテーマで作品集まってたので所々心惹かれたのだが、まず印象派の代表的な画家が何点か出してたんだけど、前から好きだったけどモネが一番面白いと思った。「睡蓮」の360度回転の展示とかもそうだけど、画面と鑑賞者の関係をすごく考えた作家なんだと思う。とにかく画面と地続きに自分がその空間にいるかのように錯覚される力が強いと思った。農作業してるおばちゃんをメインに置いた作品なんか、声かければ返事してきそうなリアルさだ。決して緻密で現実的な書き込みをしてるわけでもないのに。イメージの問題だね。
メインの展示であるパリの風景の変遷を扱ったエッチング関係の作品は細かい書き込みが丁寧でいい仕事してるね、ってだけであんま面白いとは思わなかった。
あのくらいなら当時出てきた写真の方が面白いんでないの?もしかしたら作者は意図的に風景の要素を構築しなおしてるのかも知んないけど、全然普通の「風景」なのであまり緊張感もない。映りこんでる当時の女性のファッションとかは素敵だったけど。
あとはなんだろうなー、意外とピカソがつまんなかったことかな。「絵描きとモデル」っていう自己言及的な作品なんかは目の付け所が面白いかなーと思ったけど。そしてやっぱ「イメージ」を最優先に作品は鑑賞したほうがいいんだな。っていう経験則が俺の中で固まり始めた。学芸員の解説よりも、俺が素直に画面の情報を脳に送り込んで、処理され出力された感覚を大切にするほうがいい。作品の情報はいつでも調べられるわけだし。「よく分かんない、けどカッコいい」って思ったらそれはそれでいいと思った。無理に理解しようとしても多分頭でこねくり回して鑑賞しちゃうことになるだろうからな。
展覧会のルートを走り抜けてって、ぱっと目に入ってカッコイイと思えた絵が多分カッコいいんだと思う。