昨日は友人たちと飲む。一次会がどん亭で二次会が世界のやまちゃん。
正直どん亭は飽きたかな。びっくりするほどおいしいものは食べれない気がする。コンスタントにおいしいけど、感動しないというか。世界のやまちゃんも手羽先がちょっと飽きたなー。バターコーンがめちゃうまかったが。自分でも作ってみようかな。

ラーメン食べ歩きは大勝軒系を攻める。2年位前まで全然好きになれなかったのに大分好み変わったよなー。二郎の影響がすごい大きいが。
大宮にあたらしく出来た大勝軒まるいちへ。相当おいしくて食べててアドレナリン出る感じだったのだが、チャーシューがちょっと硬くて残念。葱とメンマももうちょいボリュームあると嬉しいかな。麺は太くてもちもちでどストライクだった。スープも飲み干すと鰹節が下に溜まってるような濃厚さで良かった。駅から近いし大宮で腹減ったらあそこでいいかも。前行った102とかちょっと遠いからな。

んで今日は浦和の大勝軒。偶然うらわ美術館から近いということが分かって行ってみたが、ちょっと期待はずれ。大勝軒系とは思えないほど麺が細いし、何より量が少ない。ラーメンデータベースでの評価を見てみると多すぎるなんていう評価もあるが、時期によって違うんだろうか?小麦粉値上げで量を減らしたとかそういうことか?ただ、基本の中華そばに味玉半分とチャーシュー二枚がついてくるってのは割りとコストパフォーマンスいいかもね。スープはちょっと力不足というか、特徴のない醤油味って感じだったな。
シンプルで普通に食べれるけど、もうちょい頑張ってほしいな。

浦和にはラーメン食べに行ったわけではなくて、この前ブリヂストン美術館行ったときに広告があって興味を惹かれたうらわ美術館の「氾濫するイメージ」展を見に行く。ほとんど客いなくて閉館間際まで居て学芸員の目が痛かったり、作品点数が多いのもあって心地いい鑑賞が出来なかった。
こうなるとより良い展覧会って何だろうと作品鑑賞しながら良く思うね。基本は一時間半から2時間くらいで見通せるくらいの作品数だと俺の中でベストな気がする。映画一本見るくらいのボリュームだし、途中でソファとかで休めたりするとより良いかもね。客は混みすぎても少なすぎても良くないな。うるさい客とかはうざいけど、人いないと逆に集中できないし、どんな人がこーいうの見るんだろうっていう観察が出来ないのもアレだしね。
今回は3時間近く見たせいか半分過ぎた辺りで集中力途切れてくるし(最初に展示されてた赤瀬川源平に一番時間かけてあとはどんどん雑になったような…)、タイトルどおり作品の持つ情報が「氾濫」してるので読み込むのにすごく時間がいるので、なかなか疲れた。政治的なメッセージを織り込んだ作品が多いし、何よりポスターとか印刷物を中心にした展示なので文字情報が半端じゃないほど多く、読むのが苦労する。
やっぱり、ポスターなりの画面表現の中で文字使うのは過剰だな。イメージをダイレクトに伝えてるようで存在が大きすぎてそこにしか注意が行かない作りになってしまうような気がした。
あと以前さいたま近代日美術館で見たタイガー立石の試みの面白さを再確認。画面の中で時間の移り変わりやギリシア神話なんかの物語性を織り込むのはポピュラーでも、絵画の中でコマ割を持ち込んで時間表現をするのってやっぱ正統な近代絵画史の中では無かっただろうし、内容も遠近法や錯視みたいな二次元表現の技法というか視覚による世界認識の仕方を揺るがすような作品が多くて面白い。
木村恒久っていう人は初めて知ったけど作品は見たことあってフォト・モンタージュとかは面白かった。やっぱ政治風刺って形式をとった作品が多かったのは気になったけど。政治が熱かった時代ではあるんだろうなー、安保とか学生運動とかも盛り上がってた時期だというし。作品も自然とそこに焦点が行きやすいだろうな。
あと、そういう時代性から気づいたのが展示作家がやっぱ皆どこかしらの仕事で繋がってるということかな。ざっくりイメージで言うと寺山修司というか三島由紀夫というか澁澤龍彦的な人々が中心にある円というか、当時の文壇やら論壇やら芸術家たちが割りと色んな作品やら状況劇場とかで交差してて、逆にあそこに参加しないアーティストってどうやって位置づけられるんだろうと思ったりした。まああんまし「69年」な感じに変な憧れを持ってもしょーがないとは思ったな。個々の仕事は面白いものいっぱいあるけどさ。