梅田望夫茂木健一郎の「フューチャリスト宣言」を読む。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

2007年出版だが、you tubeの買収話とか最新のサービスのあり方についても触れておりタイムリーな本だ。さすがにニコニコには触れてないが、それでもこの時間感覚の速さには驚かされるところがある。you tubeもニコニコも、「気がついたら普及してた」という感じだ。動画サービスは他にも結構あったと思うけど、それらもまた気がついたら見なくなってた。
やる夫って2006年くらいに出てきたの?モナーとかギコと一緒にこいつもずっと前からいたような気がする。ちょっと不気味だよなー。ネットに接している時間ってどういう時間なんだろうか。まだ新しいメディアだからその評価が揺れてるわけだけど、ネットサーフィンしてても無駄な時間すごしてるなーという意識が無いわけではない。ちょっと思いついた単語をググってリンクを辿っていって気がついたら時間たちまくりということはとても多い。そもそもリアルと分けて考える必要も無いような気がするし、功殻みたいにネット端末を体に直接埋め込むようなユビキタスな社会が訪れないとも限らないのかも。
そこまでいかなくても人間同士のネットワークがかなり豊かになるのは勿論、出会いたくない人と出会う確率も飛躍的に高まる。そしてネット環境やネットのリテラシーが充実しない人間が相対的に弱者になっていくこととか、逆にネットを使えないと大学生は就活が事実上出来ないといったように、インフラとして人間を拘束する力にもなっていくだろう。今の電話のように、そこで「ネットを使わない生活」はほとんど排除されていく。
ただ、小・中学校で携帯電話を前面禁止にしたとかいうバカみたいなニュースを聞いたけど、これはまだ過渡期の現象なんだろうか。俺の世代は中学校で携帯持ってるやつは少数だった。高校ではさすがに大体の人が持ってたが、一時かもしれないが「いつでも誰かとつながれるメディア」を持ち込むことがいけないとされる方向にあるようだ。
これは「新しいものは何でもけしからん」という屑みたいな教育委員会の方針なのか、もっと官僚やら政治家の利権の構造があるのか知らんけど、どう考えても時代錯誤ではある。本文中に梅田氏が言ってるが「自動車が初めて作られたときは、もちろん安全に対するノウハウがないから事故を起こしまくったけど、クルマに乗らない生活ではなくどうやったら事故を減らせるかを考えて今のアーキテクチャが形成されていった」的な話があるけど、「ネットで集まった集団自殺」とか「学校の裏サイトによるいじめ」みたいな事故の可能性を減らしていく努力がインフラを形成していく側に求められるのかもね。基本的に技術が発達したら俺はそれを使ってみて実験してみたいと思うし、出来ることを出来ないようにしていく方向は無理だと思うんだよな。ファイル共有ソフトとかクローン技術とかもそうだけどさ。
あんまり本の内容と関係ない話が多かったが、彼らのシリコンバレー経由の楽天的な姿勢は大いに俺も賛同するし、腐敗した既存の権力構造に楔を入れることの出来るメディアを通してもっと開けた未来社会を志向していきたいと思う。さすがに本をネットで読もうとは思わないけど、マンガはもうネットで読んでる。リアルで経験することの重要性ははっきり認識した上で、俺の生活をどんどん変質させていく力にある程度身を任せつつ、茂木氏の言う「偶発性にどう身をゆだねるか」を実践しながら生きていきたいと思う。


今日は二コール・キッドマンの「アザーズ」を見る。

アザーズ [DVD]

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何と、一時間くらい見て初めてこれ初見じゃないと気づく。何かデジャビュはあったけど、最後のどんでん返しは普通に、「あ、ちょっと予想できたけどそーいうことか」なんて楽しめたし、画面が暗くて蝋燭で顔が照らされる感じとかすごく好きなので見てて良かった。ちょっと話に整合性の取れてない部分はあるけど、二コールが美人なのでいいや。彼女はなかなかクラシカルな美人顔だと思う。