結構話題になってるwall.Eを観る。

WALL・Eウォーリー (ディズニーアニメ小説版)

WALL・Eウォーリー (ディズニーアニメ小説版)

かなり面白い。けど、ピクサー的でウェルメイドなお話を盛り上げる作りをしていて、SF的な見地からは評価は保留かなーという気がしなくもない。
まずは描写やキャラのデザインのレベルでは、ウォーリーもイヴもすっごい人間臭い動き(ディズニー的なアクションが多いよね、やっぱ)をしていて感情移入しやすいけど、これって逆に言うとロボらしさがあんまないんだよね。
目の動きとかで多彩な表情を作ってるし、何より発語機能までついてお互いにコミュニケーションなんかとれちゃって、こいつら元々何のために作られたの?っていうレベルだ。繁殖できるわけじゃないんだから性別を作る必要はまっっっったくないし。てかイヴはもうちょい女性らしいシルエットにしてやったらどーなんだろう。
ロボは機能を絞り込めば絞り込むほど性能が高くなるわけで、700年前の人間はなぜゴミ処理ロボと探索ロボットに高度な知能を持たせたのかよく分からん。ここまで発達した知能があればゴミ処理以外にいくらでもすごい仕事できるだろ!と思ってしまう。ウォーリーがポンコツロボ扱いを受けてるのはどう考えてもおかしい。人間と全く同じことが出来る処理能力を持つロボットは定義的には人間の範疇に含めていいんじゃないかと思うけども、ウォーリーもイヴも人間より人間くさい。宇宙船内で革命なんかしちゃう「熱血」ロボたちだ。
あと、こういった作品の前提条件から矛盾を突き詰めていくと、まず人間がすべて逃げた後多くのロボットは置き去りにされたんだろうけど、ウォーリーにその当時を回想する描写が無いのは不自然。作られた当初から意識(!)はあっただろうし、仲間が壊れていく様子を見守っていったのかも知れんけど、それより前に地球をロボットの星にしてしまえたんじゃなかろうか?
初めてイヴが地球に下りたとき、壊される危険があっても近づいていったほどの好奇心まで持ち合わせてるのに、ロボットたちで社会を築く選択肢を取らなかったのはなぜなんだろう。事実、宇宙船に載ってからはなぜか仲間がどんどん増えて、ロボットたちの連帯が人間を人間らしく呼び覚ましていくのだ。そして、もっと言うと全てのロボは修復可能なのである。ウォーリーは自分を修理できるわけだし、ゴミの中から部品を拾って壊れた仲間を直すくらいワケないはずだ。イヴを待たなくともウォーリーは地球での暮らしを十分楽しめたんじゃなかろうか。
まーこの辺は無視できない矛盾だけどあえて無視するとして、お話をぶち壊すところをつくと、意思を持って宇宙船全体の統制が取れてるはずの敵の親玉オート(盛り上げるためには敵がいないとね、みたいな発想か?)が簡単にイヴに裏切られ、管理社会で飼い殺していた人間の船長に肉弾戦で負けるとはとても思えない。電気ショックでもいくらでも合理的な手段はありそうなのに、船長相手にあえて力勝負に出たオートはポンコツとされるウォーリーよりも遥かに性能が劣ると言えるだろう。人間たちについては、作中で暗示される男女隔離政策なんかは狂四郎2020をすごく思い出したけど、快楽に溺れてた割にはそれほど利己的じゃなく他者と割とすんなりコミュニケーションとれたっていうのも不自然な気がするしなー。
まあお話的にすごく綺麗なまとまって大団円みたいな運びだけど、今後のウォーリーやイヴたちの暮らしが全然想像つかないのが怖い。何しろ子供は出来ないし、死なないのだから。