小室直樹日本国憲法の問題点」を読む。

日本国憲法の問題点

日本国憲法の問題点

参院選の時から憲法について自分の中で整理しておきたかったんだけど、この度やっと読めた一冊。面白かった。選挙中にダースレイダーが読んでたんだよね。小室直樹はいずれちゃんと読もうと思ってたんだけど、今回が初。今の日本の民主主義はなってない!憲法は死んでいる!国民の私有財産権を侵害した官僚などさらし首にしてしまえ!とアジるような文体はちょっと辟易するけど、憲法を通して社会哲学や政治学の分野について思考を深めることが出来たのでよかった。まずは、読む前に持っていた「憲法とは、国家というモンスターを縛る「鎖」なのである」という認識がちゃんと合っていたことに安心した。そして、憲法は基本的に慣習法であり、それは国際法とも通じている。それに対して近年は憲法の解釈学とも言えるような様相を呈しており、これは聖書の解釈をめぐる神学論争のような不毛さに近いという。
以下、気になった箇所の引用。
「教育なきところに、デモクラシーは生まれない」
ルソーは平等な市民が主人公となる社会の到来を夢見た、とあるが、今連載中の「イノサン」の悲惨なフランスの状況を見ていると、納得する面がある。教育のない場所に民主主義を根付かせようとしても、すぐに衆愚政治に堕してしまう。それをアリストテレスプラトンは批判し、決して高い評価を与えなかった。「独裁者は、大衆の歓呼に包まれて登場する」の言葉通りである。世界的に評価の高い民主的な憲法と謳われたワイマール憲法によって、ヒトラーは登場したのだ。アメリカがイギリスから独立を勝ち取った時の初代大統領ワシントンは、望めば終身大統領にもなれたはずだが、二期目の最後に「告別演説」をしたおかげで、「大統領は二期まで」という決まりができたのだという。
また、アメリカの教育システムにも驚きだった。彼らは大学に入るまで読み書きそろばんといった日本でよく学ぶような教育ではなく、「アメリカ人になること」を最優先して学ぶのだという。自分と違う意見の人を理解し、自分の意見を伝える。「近代教育の大きな柱の一つは、「社会化」にあるとされる。」戦前の日本は、このアメリカ式教育を導入し、教育勅語を読み、国民としての意識を強めていた。アメリカ資本主義の体現者がベンジャミン・フランクリンであるとしたら、その日本版は二宮金次郎であった。その甲斐あって開国後わずかの間で日露戦争に勝つまでの国力をつけた。「戦争の強さは、民族国家の度合いを測る有力な尺度である」という。ナポレオンの軍隊は「フランス軍」であったのに対し、征服されたオーストリアやロシアの軍隊は政府の軍であったために敗北した。
そして、ちょっと眉唾な陰謀論っぽい気がするが、太平洋戦争でアメリカが日本に対し、二度と報復戦争を起こさないのを狙って、今の憲法9条をこしらえたのだという。あと、公的に廃止した手続きがないから現在でも日独伊三国同盟は廃止されていないというが、今の状況で同盟が生きてると思うバカはどこにもいないわけで、国際法では「事情変更の原則」が適用されるのだという。そしてその状況に鑑みると、アメリカが想定していた自国への報復という予想は現在ほとんどあてはまらないため、9条は空文化、死文化したという判断が適切であるという。というか、9条を死守しようとして13条、国民の生命や幸福追求に対する権利を守れないようでは、確かにアホと言わざるを得ないよな。
また意外エピソードとして、江戸城明け渡しの談判を務めたのが西郷隆盛勝海舟であるというのは結構有名なエピソードであると思うけど、これは実はすごく意外なことなのだという。二人共下級武士の出身であり、本来なら官軍側は有栖川宮熾仁親王、幕府側は徳川慶喜と主席老中が交渉すべき問題である。しかし、当時上級武士たちには教養も志もなく、日本の未来を憂いていたのは彼ら下級武士だったのだという。
また、日本の東京大学はじめ国立の大学は国の官僚を育てるために作られたのに対し、ヨーロッパの大学はすべて私立であった。権力と関わりを持つどころか、自由学府として、権力と敵対する組織であったのだ。この辺は読む前からそういう認識はあったけど、改めて文章を読むとすっきりする。
またびっくりしたのが、明治期の教育環境。都内には高校が一つ(いわゆる一高)しかなく、一高から東大に行くのはほとんどフリーパスだったという。というのも、当時は体力に自信があれば陸軍士官学校、教師になりたければ師範学校、実業界に興味があれば商業高校にすすむという道もあった。そして何より、小学校卒で家業を積んだ長男の方が、帝国大学を出て高級官僚になった次男よりも圧倒的に地位が高かったのだという。学歴のみの階層構造に育った自分の感覚と照らし合わせてみてもこの辺は面白い。
また、軍隊と警察の違いも面白かった。どちらも国家の有する暴力装置ではるが、警察は基本的に法に沿った行動しかできないが、軍隊は禁じられた行動以外は基本的に何をしても良いのだという。
南宋文天祥の話も面白かった。「清官三代」ということばがあるほど科挙に受かったものが優遇される社会の中で、モンゴルのフビライにとらわれても心をくじけさせず、死刑を望んだという強い意志。
また、どっかの国が戦争を起こして日本に上陸したとして、自分や家族を守るために武器を手にした場合、自分の身分がどうなるかという問も面白かった。国際法としてジュネーブ四条約に照らし合わせるなら、戦闘員は戦闘員の身なりをして武器を堂々と持っていないといけないが、非戦闘員はその逆でないといけないのだという。これに反した行動をお越した場合、ゲリラやパルチザンとして殺されても文句が言えない状況になってしまうのだという。手続きに沿えば、非戦闘員や捕虜を虐殺するのは戦争犯罪に当たるし、きちんと守られるのだという。
こういう知識を例えばスイスでは学校の授業で教えられるというから驚きだよなぁ。日本に生きてても今まで知らなかったぜ。確かに防衛に関する知識が抜け落ちてるよなぁ。