物が捨てられない。
今日はほとんどの時間を部屋の整理にあてたけど、殆ど捨てるものが出てきてない。いや、基本は売ろうと思ってんだけど。物を捨てるのは改めて難しい。何でだろう、部屋がすっきり・さっぱりしている状態が好きというか物が少ない状態が好きなのにものが捨てられないのだ。これはどういうことなんだろう。
整理するものとしては、本、服、マンガ、雑誌、フリーペーパー、写真集、CD、レコードが主にある。
今はコンテンツ系の情報はハードとして持ってなくてもソフトの形で保存しておける。勿論、ハードが持ってるノイズのような情報は失われるけども。だからコンテンツ系のものは捨てる基準としては、「ソフトにしても大丈夫なデータはソフトにして保管する」というレベルと、捨てるか売るレベルと、ハードとしてそのまま保存しておくレベルがある。
服に関しては難しい。整理するたび「前整理したときも捨てなかったけどそれまでの間着てなかったら手放す」とか「もう二度と着ないと思われるなら手放す」とか色々自分ルールを決めて整理にかかるんだけど、軸が定まってないから混乱する。整理が終わった後に手放すものを確認すると、何でこれも入れてんだ!みたいにムラが出来てしまう。

ただ、整理ってかなり神経使う作業だけど、何か楽しい。俺の中でアドレナリンがぐんぐん出る作業だ。理想的にはやはり脳の延長として部屋を捉えたい。自分が何か情報を検索する際に淀みなくそれが取り出せる状態の部屋を作りたい。一人暮らしの部屋はやっとそういった環境が手に入れられるということだ。女子や友達が来て楽しめる要素も持っていたいが、基本的に「あれどこやったっけ?」という時間のロスがない部屋にしたい。野口悠紀雄氏の超・整理術(ブックオフの100円コーナーの常連)も確かそんなイメージで整理を捉えていたような気がする。なぜか佐藤”シャレオツ”可士和も二番煎じのこれまたシャレオツな装丁の本出してたな。そういや「捨てる技術」とかいう本もあったはず。昔の雑誌やマンガにぱらっと目を通していく。懐かしさと共に当時の読み方と違う読み方をしている自分に気づく。この発見があると捨てられなくなってしまう。寝かしておけば違うタームで着れそうな服はどうしたらいい?最終的には捨てていかないと新しいものが取り入れられないんだけどさ。

それでいてシンプルな部屋にしたいという思いが相反する要素だがある。これは憧れに近い。
スナフキンは「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうがふりかかってくるものさ。運んだり、番をしたり......。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんをうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねえ......」なんてカッコいいことを言ってる。確か上野千鶴子も、海外に住んでるときはよく引越ししたらしいがふらっと移動できるよう必要最低限のものしか持たないみたいなことをエッセイで書いていた気がする。俺の普段使いのportarのカバンも財布と文庫と手帳とデジカメでいっぱいになる。この手軽さが自分の中で気持ちいいのだ。ファッションもその流れであまり無理な格好をしなくなってきた。ある意味ファッションの中枢というか表現の核には”ムダさ”があると思うが、それが心地よくなくなってきてんだな。「機能的であることは美しい」は本当だろうか?ノイズをそぎ落としてしまう。そしてそのノイズこそ核ではないのか?揺れてるけど今はそういうモードだ。

そんで、ものの買い方にもある程度の基準を持ってを買わないといけない。
・ワンシーズンで着れなくなる服なんてもう要らない。
・本は買うより借りたほうがはるかにいい。(図書館という空間での本や人との出合い)
・こだわりのない音源はデータにして保管して他は売る。万が一欲しくなったらそのときに買え。
・映画のDVDは買わない。借りるか、ネットで見る。
・レコードは「DJの素材になりうるか」という基準で持つ&買う。それ以外は売る。インテリアになりそうな名 盤ジャケのレコードは一部例外。
・マンガは基本買わない。マンガ喫茶かデータで保管。読みたくてしょーがないもののみ買う。
書いてみたけど、これはかなりコンテンツ産業を衰退させる消費の仕方だ。
たけくまメモにあったけど、「マンガは買ってまで読むものでなくなってきている」。読まれる量自体はそんなに減ってないだろう。でも、今は携帯でもパソコンでも読めるようになった。ものとして所有するメディアでなくなってきている。ものレベルが一番読みやすいとは思うけども。音楽は一曲単位でネットで買えるし、winnyでいくらでも落とすことが出来る。そして、俺の消費形態はそのまま産業としてほとんど影響を与えない。買うとしても中古が多いし。クリエイターに敬意を表して、自腹を切っていくことが必要なのだろうか?でもこれは環境問題に対して出来ることから始めようという呼びかけと変わらない気はする。どうしたって便利さの方が強い。一人ひとりの努力より、政府が政策である程度強制的に習慣を変えさせるほうが効果的な気がする。
結局まとまらんけど、試行錯誤しながらいくしかないだろう。もしかしたら今揚げた基準は結局今だけの基準で、時流に併せて変わっていくかもしれない。人生は金も時間も有限だ。より満足度の高いものを買い消費していきたい。



そんな中で発見した今日の一枚

Spirits Having Flown

Spirits Having Flown

いやこれめちゃカッコいいな。入手したのは多分2年くらい前になるはず。今になってカッコイイと思えるから物は捨てられない。いい具合にファンキーなトラックにファルセットのコーラスが乗る。bee geesなんてサタデーナイトフィーバーくらいの印象しかなかったけど、こんな聴けるんだな。今までに手放したレコードとかにこんな発見があったんじゃないかとか考え出すともうきりがない。一期一会と考えるしかないな。